高価なアマチュア無線用受信機がなくても簡単にSDR(Software Defined Radio)機を購入できる時代になった。
DVB-T+FM+DAB USBドングル(写真左、左上方)をPCに接続、ドライバーをインストール後SDRSharpというアプリをインストし立ち上げた。
アンテナ(写真右)は、V型ダイポールCDP-106
アプリの立ち上げや、受信のノウハウは、流星観測国際プロジェクト代表の小川氏からご紹介いただき同プロジェクトの杉本氏にご指導いただいた。
国破れて山河あり、あまりにも有名なフレーズである。コトバンクでは「戦争によって国が荒廃してしまったことを嘆くことば。また、人間の愚かな営みが、自然の前ではいかに無意味かを表すことば。(中国の杜甫の「春望詩」から) 」とある。明治維新、太平洋戦争敗戦、などなどこの言葉で語れる歴史上の出来事が日本にもあり、軍事クーデターなど外国にもたくさんある。家族や家を失い絶望の想いで山河を眺める当事者の心情には察して余りがある。これら以外でも、パンデミックや現在進行中の地球温暖化も、戦争で荒廃したわけではないが、「国破れて」と形容されそうな事象がある。「山河」を頭に浮かべて「国破れて」を未然に防ぐことが求められているのだろう。
加えて、’自由民主主義 vs 専制主義’や’過激な宗教間の対立’も「国破れて」で語られる日が来てしまう気がするのである。中国は「アメリカは民主主義の押し付け」と非難し、西側は逆に「非人権国家」「不法領土主張」などを非難する。お互い正義は我にありと云うのである。自由往来の世界、障壁無き経済連携、は本当に正解なのか、と考えさせられてしまう。国連はなんのためにあるのか・・・地球は一つの主義主張で自転しているわけではなさそうだ。
「山河」に住み「山河」に根ざした国際協調のカタチを目指せればいいのだろうけれど難しそうだ。中世の欧州勢の進出や150年前日本はなぜ開国に応じたのか、その理由を掘り下げれば山河に根ざせない人類の煩悩が見えるのかもしれない。もうひとつ、経済成長が続けば脱炭素など到底なしえないと説く学者もいる。グレタもそのひとりなのかもしれない。経済成長をやめようという国際協調はできるのか。煩悩の国際化は今に始まったことではなく、経済成長を始めた産業革命それ以前からのものである。縄張りの縄を製造を止めるにはどうすればいいのか。うーーん
人類初の月面着陸でアームストロング船長のことば・・・
That’s one small step for man, one giant leap for mankind.
あとにも先にも、この偉業以上の感動はあまり記憶はない。giant leapとは「偉大な飛躍」である。
最近、アポロ11号クルーが生で登場するドキュメンタリ映画があった。最近制作された宇宙もの映画以上の迫力で、まさに実際おこったことが近年の映画のシーンにも勝るとも劣らぬ迫力であった証拠だ。現在一般に使われているPCの原型と言ってもいいと思うが、MS-DOSコンピュータが世に出たのは、アポロ計画の偉業よりもはるかに後のことである。にもかかわらず、サターンV型で出発し月面着陸を果たして大気圏にはじかれず地球に帰還・・・どんなシステムが支えていたのか、仕事などでコンピュータの威力に接するようになってからずっと気になっていた。
アポロ誘導コンピューター(Appolo Guidance Computer:AGC)なるものらしい。月面着陸直前にアームストロング船長の心拍数を上げたエラーコードを発出したり、すばらしいシステムだ。開発プロセスも想像できなくもないが、膨大なバグつぶしの連続であっただろう。映画「アポロ11号」でこのことを再認識した。
いま、自動運転などAI活用の研究が活発化している。はたまた「空飛ぶクルマ」も開発されている。ひとりの技術者としては興味は尽きない。大いに楽しみではあるものの、「パンデミックへの防御がワクチンや特効薬でほんとうに大丈夫なのか」的な、現在の社会システムの脆弱性も含め「これでいいのか」のようなものを感じる。
技術は進化した、でも社会システムや政治は進化したのだろうか・・・バグを発見しても、バグ修正はできているのだろうか。。。
月刊誌ニュートン2021年10月号の特集は「時間の謎」である。
時間とは、太陽など自然環境や作物の収穫など日常活動にかかわる周囲の変化に対する表現の道具であって、時間そのものは存在しない、の解釈もある。また、相対性理論でも、おかれた環境により時間の進み方が変わるとされる。飛行機に乗っているだけで地上の人との時間はズレ、山の頂上と平地でも時間の進み方は変わる、などもアインシュタイン博士によって予言された。
表題の「時間とエントロピー」は、学生時代インターンで松下電器(当時)の寮に3週間いた頃、同じ部屋の東大生との会話で出てきた。最初東大生は「エントロピーみたいなもの」と表現していた。そのときはエントロピーを不可逆的な状態量として彼は熱弁をふるっていたので、ほおーと、唸った。なぜ唸ったかと言えば、エントロピーは熱力学や情報理論で習ったものの、時間を語るにエントロピーが出るか、的な感動であった。最近同様の記事や本を見かける。
時間とエントロピー・・・いろいろな解釈の仕方がありそうなので、ここでは横に置いて(東大生の熱弁によるエントロピーはかなり専門的になるので)、私なりに「エントロピーと時間」を自分を納得させるように平たく言えば、周囲とのかかわりが何もない状態はエントロピーが低く、かかわり=乱雑さ、が増えた状態がエントロピーが高いため、時間の進み方を意識する、である。もっとわかりやすいかもしれない例えで言えば、会社などを卒業しサンデー毎日のような生活=変化のない日々=エントロピーが低い、を送ると「今日は何曜日だっけ」があるように、その人からは時間の概念は失われていく。つまり、ビジネスで言えば、人とのかかわり合いや、製作物などの納期などの中で時間が個人の脳に作用する。「時間」は尺度であって、モノでもないし制御されるものでもない。はたまた、影響力とか間接的な作用力はあっても、それ自体熱量など物理量に変換されるようなものではない。
なんか壁にぶちあたった時とか「時間が解決してくれるよ」とか「時間薬」という。このことで時間がなにかエネルギーをもったものに解釈されがちである。昔、小学校時代にNHKで「タイムトラベル」や「タイム・トラベラー」(時をかける少女)があり、ちょっと前の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は有名である。時間を制御できればこれほど面白いことはないだろう。法整備は難しそうだが。。。飛躍だが、「時間の流れ」という表現は情緒的な文化人発想であって、時間は流れるものではなさそうだ。ただし文化人的発想が人類には最も価値がありそうで、ここでの私の理屈は、屁みたいなものである。
屁理屈とはよく言ったものだ。
セルビアの地球物理学者ミランコビッチ。地球の氷河期のサイクルなどを研究した結果、地球の地軸の傾きや公転軌道の離心率などとの関係を説明している。地軸の傾きにより高緯度地域の日射量が変化し、この変化が海水温に影響し・・・などとある。
恐竜時代の地球軌道が、地球環境を変えた? – 新たな変動メカニズムの提唱
https://www.seikei.ac.jp/obs/Info/staff/take2003.htm
http://www.venus.dti.ne.jp/~inoue-m/on_co2_2.htm#s20
https://www.jamstec.go.jp/sp2/column/03/
現在地球温暖化の主因が二酸化炭素やメタンなど温室効果ガスであるとされ、脱炭素の動きが活発化している。否定するつもりはないが、必要十分条件であるかどうかはしっかり分析する必要があると思われる。
1990年6月同僚とともにフランクフルト経由ハンブルグへ。初めての海外出張であった。
市内にそびえたつ圧巻のRathaus(市庁舎)に迎えられ、楽しさ爆発の海外出張であったこと鮮明に覚えている。Rathausは「ルルウラアアトハウス」とRの部分は舌を強烈に巻いで発音しないといけない。(巻かなくとも叱られることはない)
ハンブルグ郊外のNIVEAの工場の向かいに立つ、Philips社(書類にValvo社の名前が残っていた=電子管の製造会社)へ。当時Philipsだった友人によれば、地名はGeorg-Heyken-Straßeで写真の建物である。
Philips須藤伸次氏とバス停
当時使っていた半導体回路シミュレーション用のコンピュータはVAX11であったが、これをドイツ人は「ファックスイレブン」と発音して、最初、会話の脈絡的になぜファックスが出てくるのか大いに混乱したものである。ドイツ人の発音はVはFに近く、SはZの発音である。また、Dataデータはダーターと発音する。英語による会議であるが、お互い英語は母国語ではないので、白板上で堅実に議論ができた。
同僚とPhilipsのプロジェクトメンバー、ラップアップ会議後
2021年放映中の大河ドラマ「青天を衝け」でもパリでの渋沢栄一の驚愕ぶりが描かれているが、日本を飛び出し海外を見聞することは、たとえるならば、地平の果ては滝のように海水が流れ落ちているわけではないという発見の如く、まさに、その人の人生観を劇的に変えてしまうものだと思う。
そのころからか、残業しまくりの日本の会社風土と16時には家に帰ってしまうドイツの会社、成果的に大差ないことに気が付き始めた。ただしPhilipsの人の話では、家族と食事することが必須のため夕方には帰るが、家でぼーーっとTVをみるだけではない=ある程度は仕事のことは考えている(=回路設計は家でもできる)、とのこと。しかしながら、法律による1週間の就労時間規制や職場での専有面積規制などがあったと記憶しており、このことが、分業の在り方を進化させ仕事の効率を上げたのではないかと当時は思っていた。
このプロジェクトは欧州ローカルコンテント政策がきっかけと聞いていた。このことと、1986年の日米半導体協定、1990年すぎに始まっていた半導体ビジネスの大発想転換・・・半田ごてを握りしめることしか能がなかった私が、すべて関連性がある話だと気が付いたのは、後年になってからである。国際競争と貿易不均衡、域内産業保護、はたまた政治も加担した競争戦略。現在も半導体製品不足などもあり、日本国内の半導体産業復古が議論されているようだが、過去の総括も重要ながら、日本人のマインドをどう鍛えていけるかがポイントになるだろう。狩猟文化と農村文化、国境を持つ国と島国、いろいろな要因がありそうだ。製造拠点を日本におけばいいのだろう、だけではまた敗走の憂き目をみかねない。
大発想転換とは、忘れもしない1991年のドイツ出張で、ハノーバー空港で目に飛び込んできた「Intel inside」(インテル入ってる)の広告である。空港を降り立ちロビーに埋め尽くされた「Intel inside」のステッカー群。いったい何ごと?が正直な感想だった。黒子であった半導体事業が表舞台へ。それは半導体専業企業による新たなビジネスモデルの始まりだったのである。垂直統合型のほとんどの日本の半導体事業者はこのことに気が付いていなかったのではないか。少なくとも有識者含めIntelの意図を読み解けたのは少数派だったと思う。
つづく