This thread is built up to summarize Japan and global movement of Agrivoltaics (Agri Solar) and to appeal AnT Labs idea to overseas. The information on new concept of AgriSolar system which has been investigated by AnT Labs will be introduced thru episodes as below.
Episode-1: Situation of Japan
1-1 Installation status
1-2 Dialog for advantages and problems
1-3 Policy trends
Episode-2: Situation of overseas
2-1 Installation status
2-2 Dialog for advantages and problems
2-3 Policy trends
Episode-3: AnT Labs ideas
3-1 Sun light control to suppress crop yiels damage with mitigation of farmers stress
3-2 LED supplementary lighting to maintain crop growth and to control crop quality
3-3 Future farming using Perovskite PV and LED
既存の営農型太陽光発電でパネル積載率を上げて圃場への光遮蔽率が上がっていくと、日射と日影のインターバルがさらに長周期となる。下記は、実験室内での日射の状態をLEDを使い模擬して実験した結果である。
<左側>既存の営農型太陽光発電による間欠日射
<右側>進化型で実現できるであろう常時日射(光量は光遮蔽率を考慮して60%程度にしている)
日射条件
実験結果
従来型と進化型の日射条件として極端な差である可能性があり、すべての既存の営農型太陽光発電がこのような間欠日射条件になっているとは限らない。しかしながら、少なくとも光合成の光飽和に関して、しかもC3、C4など様々な光合成特性をもつ植物があり、これらの種類も鑑みることなく十把一絡に「光飽和があるため、これ以上の光は必要はない」と結論付けることはできない。
陰性、半陰性、陽性、それぞれの作物で栽培の適否があること、大まかには良心的に公開されているとは思うが、営農型太陽光発電の健全な普及のためには、栽培する作物の光合成特性(気孔開閉特性含む)とパネル遮蔽率の関係の定量化を基本に、気候条件を加味しながら、官民挙げてデータベースを構築すべきである。
この光の間欠照射の弊害は、100年近く前の1931年、アメリカ農務省によりすでに公表されている。
出典:https://theconversation.com/micro-naps-for-plants-flicking-the-lights-on-and-off-can-save-energy-without-hurting-indoor-agriculture-harvests-120051
「12hour」とは通常の昼間12時間、夜間12時間を意味する。
「1hour」より右は、通常の昼夜の周期より短い周期で明暗を繰り返すことを意味する。記事では、成長の差の原因として「昼夜サイクルが狂ったと植物が感じたことによる『反乱』」と表現されていた。また、気孔の開閉機構へ影響に関する記述はなかった。記事の趣旨としては「植物工場での省エネの可能性」について主たる目的だったようだ。しかしながら、間欠照射に起因するなんらかの理由による成長阻害の証左としてとらえることができる。
ちなみに、Garner, W.W., Allard, H. Aの論文は現在でも、Google Scholarなどから検索可能である。
小学校時代に通っていた書道教室「天真」と同じ教室に通っていた友人の作品が毎日書道展に展示されているというので行ってみた。友人は大成し現在も書道家の道を歩んでいる。自分自身は、習字そのものは好きであったが、基本的に父の勧めで通い始めた。行けば友達がいる、ぐらいのモチベーションだったかもしれないが「払い」がうまく書けるようになった時の感動は覚えている。
小学校から高校でも習字の授業があった。書の気とか心を感じるというよりは、技量というプロセス、出来映えというゴールが主な目的であったような気がしている。が、書道を究める人たちは、曰く「守破離」の道を歩むものらしい。書道展では多くの作品があり圧倒されたのだが、書道家の気を感じることはあれ、その技量を感じるなどは口に出すのもはばかられる。歩いていると、見学者からの「濃淡が・・・」などの話を小耳にはさんだが、たとえば濃淡に込められた作者の意図がなんであるかまではわからない。
自分なりに感じることをベースに気取って言えば、意図というよりは波動である。道を歩む人の人生や気概を感じ、文化とか伝統との対話を感じ取ることで作者と鑑賞者の間の多種多様な心の波動につながっていくようなものかもしれない。
別の芸術であるが、風景画家のジェームス・モリソン、以前から好きな画家であったが、ドキュメンタリー映画「Eye of the storm」でも感動的な制作過程をみることができ、おりしも鑑賞してきた書の世界に通じるものを感じた。特に、雲の描き方に連想させるものがあった。ちなみに絵筆(ブラシ)はフランスの専門店「Sennelier」で購入していたそうである。氏は絵筆に関して「(こういうものが欲しい)形状を維持できる・・・瓶一杯の油に浸しても形を保つような。」と語っていた。書道でもくだんの友人曰く「弘法筆を選ばす、にあらず、えらぶんです」と言っていたが、波動を伝える筆という媒体も心技体の一部なのだろうと思った。
私が取り組んできた電子工学、集積回路技術にも「これは芸術か」と思える世界がある。もちろんそこには、平賀源内でもないので筆などない。あるのは、回路図(設計図)と結果として出るデータと熱雑音など見えない世界との「せめぎあい」である。回路動作とトランジスタ内のキャリアのふるまい。エンジニアにとって楽しい世界である。芸術的な回路技術としてはSwitched Capacitor FilterとLeapfrog Filterが最も印象深い。回路技術の中でも上級中の上級クラスの回路構成で、Leapfrog Filterは一度集積化に挑戦したが、半導体素子の高周波特性により回路全体が発振して日程制約もあり量産化は及ぼなかった。(Switched Capacitor Filterは量産化に成功している)
芸術と工学、立場は違えど、哲学と科学が同じ精神世界で語られたようなものも見いだせる。自分の右脳の一部のシナプスだけが喜んでいる気もするが、何かを発見というか感じ取ることができた喜びではある。