秋野不矩さん 1908年7月25日天竜で生まれ、インドにも渡り景色や人に魅了され多くの絵画を残し、京都の美山が終焉の地であった。
天竜二俣駅から歩き坂を上ったところに浜松市秋野不矩美術館がある。https://www.akinofuku-museum.jp/
黄土色の壁にこげ茶色の屋根、そこはまるで日本とインドの建物が融合したような趣がある。
インドで、その場にある土で練り上げたまさにSDGs的な民家をよくみたが、黄土色の壁はその色。こげ茶色の屋根はケララ州コチなどで建物でよく見た屋根だ。
不矩さんは本名ふくさん、インドに感動して何回も渡航されその風景を描いた。不矩という名は矩形にはこだわらないという思いがあるとのこと。
中国の蘇州に出張で行ったときは、ホテルの前に広がる湖の風景に郷愁を感じたが、インドに駐在したときは、仏教発祥の地ということもあるのか、西から渡来した民族のDNAが刺激されるのか、なぜか懐かしいものを感じたものだ。大都市は近代化しているが、いわゆるRural地域はインフラも整わず、土の道も多い。神様である牛が跋扈し、イノシシ親子の縦列行進もめずらしくない。正直汚いな~の感想ではあったもものの、懐かしい気持ちも湧く。不矩さんのインドを多数描いたモチベーションも「懐かしさ」なのだろうか・・・
「はて?」懐かしさの正体はなんなのか。我々は、近代的な環境に慣れ、その便利さを手放せないものの、どこか不便さの中にあった人と人の間のぬくもりを欲求しているのか、あるいは、不便な時代にあった、あすなろ的なものにエネルギーを再発見したいと願うのだろうか、近代化にどこかうつろなものを感じているような気がする。
2012年ごろインドにて
近代の利器にならび正々堂々牛は行く
概要
RaspberryPi4(ミニコン、通称ラズパイ、お菓子?とよく言われる)を天体望遠鏡に装着して経緯台AZ GTiを制御、RealVNCなどで遠隔で制御、撮影をする。そのためのラズパイにインストールするソフトがAstRPi
感想
天体フリーソフトでこれほど出来栄えのいいソフトに出会うのは感動もの。開発者のT-Studioさんに感謝。(⇒フリーソフトなのでリスペクトこそすれ使い勝手などでクレームなどは一切厳禁)
地域の観望会でぜひ子供たちにデモンストレーションしてみたい。
ただ、ラズパイなどに慣れた人でないと難しいこともあるのと、RealVNCとの接続なども複雑。。。⇒備忘録を記す。
システム
AstRpiの使い方(備忘録)
1)AstRpiに電源投入し立ち上げる
2)PCからWiFiでAstRpiを探し接続する。⇒AstRpiの時刻は、WiFiのserverになっているせいか現在時刻になっていない。⇒WiFi受信できるのか・・・要調査
3)PCからIPアドレス192.168.1.100を打ち込む。⇒WiFi AP setting をONにすると時刻が同期する。
4)PCからRealVNCもしくはAnyDeskでつなぎ、Wireless観測環境にする。PW=astrpi (公開されている@Tstudioさん)
AstRpi画面にて:
5)KStars(下方左の望遠鏡マーク)をクリック、ToggleEkos(上方の小太鼓のようなマーク)をクリック
詳細設定はスタパオーナーさんのHPを参考にした。
6)(すでにマウントなどの設定が完了している場合)Ekos画面上方の▶ボタンを押す⇒INDI Control Panelで「Connect」になっていることを確認⇒同Panelは閉じる
7)KStars画面にはマウントが向いている方向が表示される
8)上方What’s interestingをクリック(2回ぐらいクリックしないと開かないようだ)どれか天体(太陽とか月)をクリックして情報が出ることを確認
9)星図上で観たい天体をクリックしWhat’s interesting内のSlew Telescopeをクリックすると天体望遠鏡がターゲットに向く。
構成
☜ Thanks for フリーイラスト
説明
・天体望遠鏡は、Sky-Watcher社のAZ GTi(経緯台モード)にマウント
・ファインダーにはwebカメラを装着(ターゲット時、老眼対策)しPCへ。自動認識。
・電子観望用のカメラはSvBONYもしくはZWOなど。USBでPCへ。カメラドライバーをPCへインストール。
・Sharpcapをインストール⇒カメラ画像を確認
・SynScan Proをインストール⇒このサイトの上から2番目
・ASCOMプラットフォームをインストール⇒このサイト右側のPlatform 6.6SP2
・ASCOMドライバーfor SynScan…をインストール⇒このサイトの上側
・Stellariumをインストール⇒このサイトの上方に対応OSのアイコンがある
動作
①PCからWiFiでAZ GTiにつなぎSynScanProアプリを立ち上げる。AZ GTiは初期には真北を向き水平を保つ
②2スターアライメントなどで架台の動作座標を補正する。
③Stellariumの中での各種設定後、星座や惑星・恒星などにアイコンを置き、操作詳細で「現在の天体」から「操作」をクリックすると架台がターゲットに向かって動きだす。
戦争で繁栄する産業を書きたいわけではない。グローバル化した経済において新たな秩序を模索し、その秩序による戦争抑止を書きたい。戦争と経済と書くと、経済の専門家でもなければ、ましてや金融などわかっているわけではないので羊頭狗肉となる。経済の基本となるものは産業であり、少しはものづくり産業は経験してきたので「戦争と産業」というタイトルである。目的は産業を戦争抑止の観点で考察してみることだ。
今は経済や産業のボーダーレス化が進んでいる。恩恵も多々あるが、静かなる侵略の道具にもなってしまっている。侵略と書くと失礼かもしれないし彼らに悪気はないのかもしれないが、専制国家を否定する立場としては侵略に映る。この立場ははっきりしておきたい。また、欧州でも日本でも隣国である国に対して戦争抑止のための制裁など無意味であることも学びつつある。彼らは国として弱肉強食、強奪を是としながらも、個々の人には普通の血が流れている。人情も熱いと聞く。
専制国家からみれば、自由民主主義国家は「自由という名の専制」であるらしい。このことも理解したうえで、立場が違うもの同士、どちらかが月や火星に移住できるわけでもなく、考え方が違うことを認めたうえで、命、人権、領土に関する最低限の合意形成をしなければならないと思う。そうすればミサイル作るお金で国民においしいものを食べさせてあげれれるはずだ。
いろいろな価値観がある中で各国の産業の自立こそが平和のための新秩序確立につながるのではないかと思う。
人はなぜ戦争をするのか。
今も、ウクライナやガザ地区での悲劇、、、ほかにも多数あるが、遠い昔から史実の資料でうかがい知れるものから、昨今はSNS含むメディアから情報を知るに至っている。戦火にさらされた悲嘆を映像で知っても、No warの声は戦火の為政者には届かない。いや届いてはいるだろう、為政者の思想・論理が、届く情報を命と人権の尊重という正義から遠ざける。
戦争の動機を分類してみたい。
・国富のための権益確保(石油、鉱物資源など)⇒日本(太平洋戦争前) etc
・近隣諸国や同胞の開放という名の大義名分(実は権益確保だったりする)⇒ロシア、日本(太平洋戦争前) etc
・自国第1主義⇒ドイツ(ナチス)
・領土⇒イスラエルとパレスチナ
すべて「権益」が絡んでいる。
権益のための紛争は、人々の暮らしの基本である衣食住が満たされないことがきっかけになっていることが多いようだ。飢饉、強奪などをきっかけに、古くは日本でも豪族たちの争いがあり、戦国時代から江戸時代に明治時代に至ってルール作りの歴史を経てきている。ルールはあってもどうしても紛争に至る場合は、世界的にみても武器が決め手になる。矢じりや投石にはじまり昨今は核まで振りかざす。
問題は、自国の権益意識が上回り、命や人権の尊重を無視した実行手段に至ることだ。人の命を食物連鎖のひとつと言わんばかりの弱肉強食の国が後を絶たない。その背景には、宗教という倫理観があると説く人もいれば、広大な土地を持つ国の統治には専制政治しかないのだ、と説く人もいる。戦争は表だってしていないとしても、領土領海を経済力を背景にじわじわ浸食する国もある。「いや別に悪いことはしてませんよ」と言うため欧州に遊びに行く首脳もいるのだ。
月での資源確保もルール作りが急務と言われているが、地球上の国際法無視の挙動に歯止めがかけられない今、まずなぜ歯止めがかけられないのか、専制国家も自由民主主義国家も考えるべくテーブルにつくべきだ。各国が批准できる国際法改正と罰則作りが急務と思うが、できないのは、日本含め諸大国がかつては国際ルール無視の歴史があるからなのだろうか。
このあたりは、ユヴァルハラリなど歴史学者や哲学者の積極的な改善手法案も期待したい。
一方、権益の背景には、自国の産業、は切っても切れない関係があるように思える。
一身独立して一国独立する
福沢諭吉の言葉である。司馬遼太郎の「坂の上の雲」でも、秋山兄弟が好んで引用する場面がある。秋山兄弟が活躍した明治は、帝国主義の列強に対抗して、税金の半分を軍事に費やし、富国強兵を図った時代だった。ロシアの極東進出に対抗するため日英同盟を結び、ギリギリの外交努力も潰えて開戦に至ったのであるが、このころの日本を見る列強の目と坂本龍馬を支援したトーマスグラバーらの目から見た日本人の気概には大きな差があるように思えるが、一身独立の気概の基盤となったものは対帝国主義で構図はかわらない。
また、司馬遼太郎は、日露戦の勝利が太平洋戦争開戦の伏線にあるとするが、太平洋戦争に至るまで、戦後、高度成長期、そして1986年の日米半導体協定以降、それぞれの日本人の一身独立にはどのような変化があったのだろうか。
大きな流れとしては、軍備による一身独立(明治)、軍を持つ資格がないとされた戦後、半導体や電機、車などの産業の隆盛による一身独立、日米半導体協定によってくじかれた半導体産業とその後の失われた30年、といううねりがみてとれる。
戦後の軍備解体は平和へのうねりでもあったので歓迎すべき出来事ではあるものの、平和への希求か戦争かの両極ではなく、主体性の有無という二律で考えるべき命題だろう。日米半導体協定などは、別の意味での軍備解体事件と思えるが、これもいかに一身独立できていたのかの視点で考えるべき命題であった。主導した現在の同盟国をやり玉に挙げる風潮もあるが、否定していかないと、他責の習性が根付くだけだろう。
世界平和憲法
憂えるばかりで、命の犠牲に有効な手が打てない。現下の各所の努力を尊重しつつも、基本は憂えるだけの我々である。
世界平和憲法を制定し、批准した国しか産業のグローバルネットワークに参加できない、各国にそんな覚悟が必要ではないか。世界的な法治こそ最大の解決策である。簡単なことではない。今も某国から天然ガスを購入している。制裁は空回りし有効ではない。憎しみの連鎖で何十年と続く戦争もある。法治には宗教的な背景もある。しかしながら、世界平和憲法制定のための研究を始めなければ、いつまでも憂いのみで終わる。50年だろうか100年だろうか、世界平和憲法で命と人権尊重に有無を言わせない覚悟を各国が持つしかないと思われる。認めたくなければ自国内で閉じて為政すればいい。人権的な心配もあるが、干渉で大殺戮が勃発するよりましだ。間違っているだろうか。