木星探査機が打ち上げられた。2031年に到着し、エウロパ、ガニメデ、カリストの3つの衛星で地球外生命の探索などをするそうである。衛星を周回しながら探査機から衛星の地表までの距離を計測することで衛星内部に深い海があるかどうかわかるらしい。木星との間の潮汐でゴムボールのように”ぶよんぶよん”するらしい。地球と月との関係で発生する満潮・干潮が、木星の衛星の地底で起こって地表に影響が出るとのこと。地震で地面が動くのは理解できても、固い地面がぶよぶよとは不思議極まりない。
この打ち上げにあわせて、ケビン・スペイシー、ジェフ・ブリッジスが共演する映画「K-PAX光の旅人」を観た。20年ほど前にも観たが、ジョディ・フォスターの「コンタクト」と並び宇宙系で最も好きな映画だ。ケビン・スペイシー扮する琴座K-PAXという惑星からきた宇宙人は、あるトラウマを抱えた人の肉体を借りて地球の状況を報告するのだという。もっともこの「肉体を借りて」と「トラウマ」は最後のほうで判明する。家族、コミュニティ、社会規範などもないK-PAX人が、家族を不当に奪われた人にいわば憑依するわけだが、その言動が人類の現在地を問いかける映画だと感じた。
つまり、K-PAX人は、人間関係すべてにドライで社会規範など不要で、地球人がなぜいろいろ争っているのか理解できないようである。この姿が地球人とは対極にうつるが、地球上のさまざまな紛争を乗り越えてこの世界へ行きつけるのかは疑問である。しかしながら、浦道を巡ればふとこのK-PAX人の在り方に共感が生まれるのかもしれない。表通りの喧騒から離れてふと裏通りに入りたくなるのもそうなのかもしれない。
この映画、欧米人の感じ方と日本人の感じ方とでは違うのだろうか・・・