中学3年の時の担任の先生である。1972年まで放映されていた「肝っ玉かあさん」のような人だった。声が大きくいつも気合が入っている印象で今もその声を思い出す。下写真は3年5組卒業文集における先生の巻末言である。
「今こそは、この身のひとつの舟路なれ」は教師としての矜持を感じる一節である。
時を経て、先生のおっしゃる思い出深さの意味をつくづく感じる日々である。「今こそは、この身のひとつの舟路なれ」と書き、我々を送り出した後の寂寥感はいかばかりだっただろうか。糸が切れた凧のように遠くへ行ってしまった卒業生もいれば、時を経た同窓会で先生!とかけよる卒業生もいただろう。俳優の杉良太郎も教え子のひとりだそうである。
素直に純粋に生きてほしい、、、教育者としての本懐は遂げられたのだろうか。私は、気合入れてしゃべる、ことを学んだ。(もちろん理科の先生なのでそのことも)今も某大学で電子工学を教えるが声の大きさは随一と自負し、プレゼン演習でも「最初に大きな声でぶっぱなせ」と教えている。気合は自信につながる。
糸の切れた凧だった私はもう面前に報告できないことが残念だが、知る同級生は皆、荒波も超えてしっかりやっている、、、とここに報告したい。
(注釈)
先生の巻末言にある「漫々たる大海・・・八重の潮路・・・」は國木田獨步の「失戀兵士」の一節のようであるが、先生はもちろん、教え子を笑顔で送り出す心境として引用されていると思われる。
出典:失戀兵士 國木田獨步: Blog鬼火~日々の迷走 (cocolog-nifty.com)