2022年11月19日、神戸市須磨区にある萩の寺へ、40年前26歳の若さでこの世を去った友が眠る墓に行った。中学の同窓4人で在りし日の友の笑顔を偲んだ。
中学3年の時1年間隣り同士で、彼は「クラスを盛り上げるにはどうしたらいいか」「目安箱おいて意見吸い上げよう」などなど常に視点が高く、さりとて居丈高なところもなく周りを気遣い笑顔の日々だった。なんというか、尊敬の念を超えて、同級生の彼から多くの薫陶を受けた気がしている。今も忘れないエピソードがある。
ある日、M先生の大切なお手製の教鞭をふざけて壊してしまい、先生から「代わりの持ってきて」と言われた。静かに言われたので応急的なものをと勘違いしていた。翌日工作用の細い角材を持参したがM先生は激怒された。結果的に礼を失するものであったが、まさかの激高に思わずその場から逃亡を図ってしまったのだ。怒る先生は、逃げる私を追い廊下で大声を上げて叱責された。そこに教室の中から彼は飛び出し「明日自分が作ってきます!許してください」と自分のことのように詫びたのだ。人を想う包容力とはこのことだと、のちのちに思い出す出来事だった。
彼は、卒業文集の短文寄稿にこう記している。
「人間とは、人生とは何か。よりよい人間向上 これのみが僕の願い僕の人生。」
齢15歳、亡くなる前10年余のときの文章である。小学校時代からの意識の高さなかりせばこのような文にはならなかっただろう。高校時代には会ったが、その後長く連絡を欠いたことを悔いた。
そしてこの稀有の大器を早々に失ったことが残念でならない。
<追悼の詩>
須磨萩の寺に集う友垣
碑に刻む君の名に涙す
惜別の情さやぐ西の空
薫陶を与ふ笑美を見ゆ
相寿く大器の志を胸に
菅の蓑を纏い長き道を
歩み続けん
高取山を背に絆を想い
歩み続けん
小中学校時代の同級生であり書道家である宮崎恵煌先生の揮毫
(天に届け、の思いで揮毫いただきました。ありがとうございました)
(補遺)M先生は、夏休み、修法が原へ数人でハイキングに行ったとき、帰り道、パン工場の前で突然「見学しよう」とおっしゃった。工場の方もビックリされたようだったが、見学させてもらった上に出荷前出来立てのパンをお土産にいただいた。M先生のこの行動力、やってみよう精神はその後の人生に確実に生かされたと思っている。
国破れて山河あり、あまりにも有名なフレーズである。コトバンクでは「戦争によって国が荒廃してしまったことを嘆くことば。また、人間の愚かな営みが、自然の前ではいかに無意味かを表すことば。(中国の杜甫の「春望詩」から) 」とある。明治維新、太平洋戦争敗戦、などなどこの言葉で語れる歴史上の出来事が日本にもあり、軍事クーデターなど外国にもたくさんある。家族や家を失い絶望の想いで山河を眺める当事者の心情には察して余りがある。これら以外でも、パンデミックや現在進行中の地球温暖化も、戦争で荒廃したわけではないが、「国破れて」と形容されそうな事象がある。「山河」を頭に浮かべて「国破れて」を未然に防ぐことが求められているのだろう。
加えて、’自由民主主義 vs 専制主義’や’過激な宗教間の対立’も「国破れて」で語られる日が来てしまう気がするのである。中国は「アメリカは民主主義の押し付け」と非難し、西側は逆に「非人権国家」「不法領土主張」などを非難する。お互い正義は我にありと云うのである。自由往来の世界、障壁無き経済連携、は本当に正解なのか、と考えさせられてしまう。国連はなんのためにあるのか・・・地球は一つの主義主張で自転しているわけではなさそうだ。
「山河」に住み「山河」に根ざした国際協調のカタチを目指せればいいのだろうけれど難しそうだ。中世の欧州勢の進出や150年前日本はなぜ開国に応じたのか、その理由を掘り下げれば山河に根ざせない人類の煩悩が見えるのかもしれない。もうひとつ、経済成長が続けば脱炭素など到底なしえないと説く学者もいる。グレタもそのひとりなのかもしれない。経済成長をやめようという国際協調はできるのか。煩悩の国際化は今に始まったことではなく、経済成長を始めた産業革命それ以前からのものである。縄張りの縄を製造を止めるにはどうすればいいのか。うーーん
ある識者は「地方活性化の切り札は新幹線」とおっしゃる。交通の要所に「賑わい」が持たされるのは間違いないと思うし、交通は地方活性化必要条件であろう。でもこれだけだろうか。十分条件は何だろう。多くの地方活性化の取り組みがある。これらの持続性も考える必要もある。
欧米では、脱炭素も大事ながら持続性を重んじる人が多いらしい。日本も持続性に異を唱える人はいないだろう。でも問題は優先順位の決め方。これには文化的背景もありそうだ。
持続性、、、社会の大きな課題もさることながら、自分自身がみつめてきたものを振り返ることで考えるヒントが増えるかもしれない。それは宇宙、電子技術、そして育った環境などであるが、それらの関連施設や土地を訪ねることがこの「浦道を行く」のテーマである。交通の要所が栄えることは生活のための経済基盤がモチベーションであるが、交通が不便でも行きたいところに人は行く。そして新たなモチベーションを後世に伝えていくものだろうと思う。
経済成長が炭素社会を生み出し、社会生活の足かせになってる、と論ずる識者も出てきている。(e.g. 人新世の「資本論」(斎藤幸平著))持続性とはいったいなんであるか、単純に語れるものではないようだ。
神戸、名古屋、大阪、京都、川崎、横浜、イギリス、インド、に住んできた。津々浦々で見てきたことをここに書いていきたい。